
2009 年 7 月 15 日
翌朝、目が覚めると、雨になっていた。
耕平は、まだ寝ているので、一人、朝風呂を浴びに温泉へ。
途中、目に入る、雨にうたれた周りの木々が、より一層美しい。
静かな雨の中、一人で入る、露天風呂もオツなもので、雨もまた良しである。
部屋に戻ると、耕平も起きており、朝食をいただきに、食事処へ。
朝ごはんも地元の食材でつくられたもので、野菜のおひたし、煮物、大根おろし、温泉玉子、どれも美味しかったが、味噌汁とご飯の美味しさは、格別のもので、今まで数多くいただいた朝食の中でも最高のもののように思う。耕平も何杯か、おかわりをしている。
食後、ロビーでコーヒーをいただきながら、静かな時間と、心落ち着く空間で過ごすひと時が、すごく贅沢な時間に思われた。
鹿教湯温泉の三水館、主の思いを感じた、いい宿だった。
宿を出てから、塩田平の戦没画学生慰霊美術館「無言館」を目指す。
耕平には、無言館という美術館に行くとだけ伝えた。
無言館は、小高い丘の上に、中世の修道院を思わせる姿で立っていた。
正面の木の扉を開けて、中に入ると、厳粛な空気が流れているのを感じ、思わず被っていたハンティング帽を手に取る。
この無言館には、第二次世界大戦で、志半ばで戦場に駆り出され、命を落とした画学生達の作品が展示されており、妻や恋人のポートレートや裸婦像、愛する家族の姿や、故郷の山や川、など、どれもみずみずしいタッチで描かれており、どの絵も不思議なほどの静けさをたずさえている。
無言館に入ってすぐ左に展示されている、中村萬平さんの、「霜子」という絵には、釘づけになってしまった。
萬平さんは、学生結婚していた奥さんの霜子さんの裸婦像を描いた後、戦場に駆り出されたが、その時、霜子さんのお腹には赤ちゃんが宿っていた。萬平さんは、生まれてくる自分の子供の顔を見ないまま、遠い中国の戦場で一人さみしく戦死。
そして、赤ちゃんを産んだ後、霜子さんも身体を悪くして、半月後になくなった。
萬平さんが残した「霜子」という絵は、その時生まれた息子の暁介さんの手によって戦後大切に守られた。
暁介さんは、この「霜子」という萬平さんの絵をみるたびに、「ああ、ここに母が生きている、父が生きている」と思うのだそうだ。
絵と共に、萬平さんが戦場から霜子さんに送った手紙、戦前の二人の幸せそうな写真を見ていて、胸が痛むが、感動もする。
無言館に飾られているすべての絵に、それぞれのストーリーがあり、そして、絵と共に、展示されている手紙からも、亡くなった画学生たちが、いかに自分のそばにいる家族を愛していたか、いかに大切に考えていたか、そして、どれほど絵を描くことを愛していたか、絵を描くことが大好きだったが伝わって来た。
耕平も熱心に画学生たちの絵と、残した手紙を見ているが、何か、感じただろうか。
無言館に飾られている、戦没画学生の残した絵から、「愛するもの」「大切なもの」「大好きなこと」の大事さを教わった気がする。
人生とは、「愛するもの」「大切なもの」「大好きなこと」を見つける旅かもしれない。
耕平も私も、まだ、その旅の途上だ。


















